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朽ちる

野焼きをすると有毒ガスが出る、ということで学校やいろんな所から焼却炉が消えました。

そういうことが言われ始める前、ホームセンターで、ごく普通に家庭用焼却炉を売っていました。10数年前の私は、そういう知識もなく、田舎暮らしで敷地にも余裕があったので家庭用焼却炉で庭の切った枝などを燃やしていました。(今、思うと近所の皆さん、地球さん、ゴメンナサイです。)

ある時、太い丸太を燃したところ、表面が焦げるだけで1時間経っても、2時間経っても、半日たっても燃えません。次回、またその次の機会、何度も焼却炉に入れてみるのですが燃えません。よほど燃えにくい木なのでしょう。 あきらめて、土の上に転がして放置していたところ、1年も経たないうちにボロボロに朽ちて完全に土に還ってしまいました。

「朽ちる」…自然の力はスゴイなあ。雨に打たれ、キノコが生え、菌糸が木の中に入り、虫や微生物がいつのまにか、燃やしてもガンとして燃え残った太い丸太を消滅させてしまったのです。

森には、落ち葉や枯れ木や倒木があります。これらは、虫や小さな生き物、野鳥の隠れ家やエサ採り場になります。都市公園では、ゴミとして片付けられるこれらのものが、実は自然のサイクルにはとても必要なものなのです。

生あるものは皆、いずれは寿命がきて「朽ち」朽ちることによって、新しい命を生み出したり、育てたりするのです。

ところが今、回りを見渡すと「朽ちない」ものがあふれています。プラスチックや発砲スチロールは安価できれいで便利だけれど、使い終わるとやっかいなゴミになります。人の知恵でリサイクルしても、最後はやはりゴミです。

私が子どもの頃は、魚屋さんも八百屋さんも、買ったものを新聞紙で包んでくれました。それをお母さんは、天然素材で編んだカゴに入れて持ち帰りました。お豆腐屋さんは鉦を鳴らしながら豆腐を売りにきました。お鍋に水を入れてそれを買いに行ったものです。卵は、とても高価でモミ殻のクッションの中に入れて売ってました。お醤油も樽で売りに来て空き瓶を持って買いに行ったものです。

今、その生活に戻すのは無理かもしれないけれど、もし、品物を選ぶ時、朽ちるものと朽ちない素材で出来たものがあったら、朽ちるものを選びたい。そう思います。

2006年8月19日

丈夫で長持ち

仕事で毎日使う道具にカッターナイフがあります。実はこのカッター、私が18歳の時に買ったものです。NTカッターというメーカーのもので、当時でも200円か300円くらいだったと思います。私は現在54歳なので36年間使っていることになります。ステンレス製でシンプルな構造で全く壊れる気配がありません。

こんなに安くて長持ちしたのでは、メーカーが儲からないのでは?と心配になります。メーカーは消耗品である替刃で儲けているのかもしれませんが、規格品ですから他のメーカーの替刃を使う可能性もありますし、替刃自体も1ケース買うと相当持ちます。

作家のSさんが新聞にこんなことを書いていました。ストーブでブルーフレームというのがありますが、これも丈夫で長持ち、壊れても10年以上前のものでも部品が手に入るそうです。(70年間モデルチェンジが無い!)

今は何でも使い捨ての時代で、壊れたら修理するより買った方が安かったりしますが、昔の道具はメーカーや職人の誇りが結実したような品物が多かったように思います。

大事に使えば子供の代まで使えます。それは同時にゴミを出さない生活でもあります。 私の同僚に40歳を超えるまで、幼稚園時代の座布団を使っていた人がいます。その座布団もお母さんの古着を作り直した手作りのものでした。(さすがに捨てる時はボロボロでしたが…)

昔のものは丈夫で長持ち。素材も天然に近いもので、いよいよ廃棄する時もちゃあんと自然に帰るものばかりです。
2005年10月19日

木村佳乃サン

世のお父さん達がモーニング娘の誰が誰だか分からないように、(恥かしながら)テレビに木村佳乃という女優さんが出始めた頃、同じく売り出し中の松島菜々子サンと松たか子サンの3人が区別できませんでした。

みんな同じようにすらっとして髪が長くきれいで印象としては同じような感じがしました。

松島菜々子はその後CMの女王となり、大河ドラマにも出てビッグになりました。松たか子はもともと実家がビッグです。

いくつかドラマを見るうちに私は3人の区別が出来るようになると同時に木村佳乃っていい子だな。と思うようになりました。その木村佳乃が先日某テレビ局のトーク番組に出ていました。話題の中で「お風呂は10分、山などに行ってお風呂に入れない状況でも全然平気。」というようなことを言っていました。普通、女優さんなら長い時間をかけてお風呂できれいにするものだと思っていたので、びっくりすると同時に好感度UPです。(ヘンかなぁ。)

私はお風呂や温泉は好きですが、鳥を見に行ってお風呂の無い山で車の中で眠るのも、お風呂に入ることの期待できない離島に行くのも平気です。

現代人はちょっときれいにしすぎなのでは?と日頃思っていました。(お。やっと「環境のこと」に繋がり始めたゾ。)

「脂とり紙」なるものがあります。顔が脂でテカテカするとカッコ悪いということで若い男性までがこれを愛用するのだとか。(私の息子も愛用者らしい。)昔は「アカも身のうち」と言いました。「韓国式あかすり」というのもあるそうですが、身体から出る脂を全部とってしまって良いものなのでしょうか?身体のしくみとして必要だから脂が出るのではないでしょうか?

カモの仲間は休んでいる時しょっちゅう羽づくろいをし、身体から分泌される脂を羽根に塗っています。そうしないと羽根が水を弾かなくなり水に浮くことが出来ないそうです。

人間の身体から出る脂は皮膚を保護したり、少しは体温を保ったりしているのではないでしょうか?全部取るとカサカサになるような気がします。「リンクの輪」でリンクしている「鳥日和」の中では界面活性剤を使った洗剤の環境と人体に与える影響を指摘していますが、栄養過多の現代人は脂の出る量も多く、過度にきれい好きで洗剤にたよる生活をしています。 汚れは完全に落ちなくてもいい。お風呂に入らなくても死にはしない。くらいに考えてもいいのでは…。
2003年02月16日

生産性は下がっても良いのでは…

15年くらい前だと思うのですが、お正月の新聞のコラムにこんな記事が載っていました。「初夢」というようなタイトルだったように記憶しています。

「ある学者が人間の身体を半分の大きさにする薬を発明した。この薬をすべての人類が飲むと食料問題(餓え)も慢性的な交通渋滞も解決する。」というものです。なるほど、身体の大きさが半分なら食べる量も半分ですみます。野菜や果物や肉、魚がいままでどおりの大きさであれば、倍の人口を養うことができます。又、車の大きさも半分で良いから道路の幅をいままでどおりにしておけば、渋滞は無くなります。電車、バスには倍の乗客を詰め込めます。同様に住宅難も解消!

これは、乱暴な話で実現性は???と思いますが、今の日本人はカロリーを摂りすぎだそうです。これを解消するには毎日1万歩、歩くように心がけると良いのだそうです。

これ、ちょっとおかしくありませんか?私たち(農業や漁業といった一次産業に従事していない大多数の国民)は、お米を作ることも野菜をつくることも、魚を獲ることもしません。だのに、餓えに苦しむよその国からお金で食料を買ってきてまで食べています。それもカロリーを摂りすぎて生活習慣病になるくらい。又それを恐れてせっせと運動しようというのだから、やっぱ、ちょっとおかしいと思います。

野生動物はお腹がいっぱいになると、それ以上狩りをしません。ちょうど良い数の捕食者とちょうど良い数の犠牲になる動物がいて、自然はバランスしています。

昔の日本人は粗食で良く働きました。しかし、現代のような能率の良いシステムや高度な機械化が進んでなかったので生産性は低かったと思います。人類の身長を半分にしなくても良いから、宴会料理のように食べきれないほど食べたり、捨てたりをまずやめたらどうでしょう?食生活だけではなく、少し小さな車に乗ってみる。出来れば、乗り物に乗らないで歩いてみる。生産性は低くても安全な食料をちょうど良いだけ食べてみる。

みんながそんな生活を始めると、スーパーも車屋さんも売上が落ちるでしょうね。(他のいろんな産業も)

その代わり、ゴミが減り、空気はきれいになり、人間は人間らしく、心は豊かになるのでは?(実は、今日、人間ドックに行ってきて、相当な自戒をこめていたりなんかりして…。)
2002年06月04日

消えた海岸線

デジカメの部屋「シロチドリ」でも記述しましたが、砂浜が驚くほど痩せてしまいました。

私が子供のころは、海水浴に行くと浜茶屋から波打ち際までとても距離があったように思います。砂が焼けていたので、アチアチアチ、と裸足で海まで走りました。小さかったからよけい感じたのかもしれませんが、それを差し引いても砂浜は「痩せた」と思います。

鳥を見に海岸に行くと海からぎりぎりの距離に道路がつくられ、防潮堤があり、その外はいきなり海です。なんだか刑務所の塀みたいです。いつからこんなことになったのでしょう?素人考えですが、人間が海と川と山をいじくってしまったのが原因ではないでしょうか?

日本には八百よろずの神がいたはずです。海には海の神が、山には山の神が…。昔の人は神を畏れ、自然を破壊するとたたりがある。と信じていました。「入らずの森」などという森があったりして、そこの自然は人間の手垢にまみれることはなかったのです。海の流れと川の流れが自然で、一定量の土砂が山から運ばれ、流れに乗り海岸にたどりつけば波による侵食を補うことが出来るのではないでしょうか?

いつの頃からか科学の発達とともに、「神」も「たたり」も非科学的なこととされ、生産性と経済性が優先され、その結果が海岸線を消してしまったのではないでしょうか?海と海の生き物、海から大きな恵みを受ける人間には海岸線と豊かな砂浜は必要です。「たたり」は、やっぱり「ある」と思います。諫早湾の腐った水と元にはもどらない海苔産業もそのひとつではないでしょうか?
2001年10月11日

鳥と人と、どちらが大事か?

日本野鳥の会愛知県支部が海上の森でオオタカの巣を見つけたのをきっかけに、万博の計画が一部変わりました。

以前は、問答無用で推し進められた開発行為が、自然を守ろうという人たちの声に少しずつ耳を傾けてくれるようになったのはうれしいことです。(この点に関しては、日本は後進国なのですが…。)

多くの開発行為に携わる側の人たちは、開発区域周辺で稀少動植物(この場合は鳥)の生息、繁殖が確認された時、「鳥と人と、どちらが大事?」といった問いかけをします。

日本野鳥の会では、「野鳥も人も地球のなかま」ということを提唱しています。私なりに解釈すると、もし創造主(神様)がいるのであれば、地球とその上の自然、恵みは人間だけのためにあるのではなく、地球上に存在するすべての生き物のためにある。ということだと思います。人間は地球上で一番えらい存在ではなく、多くの生き物の仲間のうちのひとつにすぎません。

自然は、長い年月をかけて、その場所がいちばん良い状態に落ちついているのです。人がそこに手を加えるということは、バランスを崩すことになります。

今、金沢では、建設の意味が疑問視される「辰巳ダム」が建設されようとしています。水は動かなくなった瞬間に腐り始めます。多くの野鳥や動植物の棲めない環境は、人にも良くない環境です。人が大事だからこそ、わたしたちは、鳥を含めた自然を守らなければなりません。諫早湾は死んでしまいました。意味のない、自然にストレスを与える開発行為は、地球上に棲むすべての人々と動植物に対する犯罪行為です。一度壊した自然を元にもどすには、気の遠くなるような年月と費用がかかります。 (WWFのミゾゴイ生息地調査に同行して)
2001年08月20日

木を切らないで!


鳥見仲間のAさんに、昨年、サギのコロニー(集団営巣地)を教えてもらいました。

ちいさな川の狭い土手のそんなに大きくない木に、サギたちは営巣しています。そして今年も無事繁殖の季節を迎えました。Aさんは、以前に川の対岸の木が切られたので心配しているのです。

開発や環境美化の名のもとに、鳥たちが棲家を追われています。最近は、開発行為に対する世間の目を気にしてか、自然保護団体などが申し入れると、繁殖が終わるまで工事を待ってくれるケースもあるようです。しかし、繁殖が終わると容赦なく、重機が入り根こそぎ鳥たちの住めない環境にしてしまいます。

申し訳に少し離れた場所に木を植えたり、コアジサシなどの場合は砂利を敷いたりしますが、鳥たちは簡単に引っ越してくれません。人の目から見ると似たような環境を作ってやったつもりでも、鳥たちにすると居心地が悪いのでしょうね。

自然は長い時間をかけて、その場所がいちばん落ちつくかたちになるのです。そういう場所は安定していて少々の嵐や地震にもびくともしません。動物、植物にもやさしい環境になるのだと思います。

人間だって長年住みなれた家や、木造の家には愛着や落ちつきを感じますが、新建材で出来た家、コンクリート剥き出しの家では、落ちつきません。まして鳥たちは、子育てをしようというのですから…。

鳥や生き物、植物が住む環境は、人間にも優しいやすらぎを与えてくれる環境です。お願いです。これ以上木をきらないで!
2001年05月29日

農薬は、ほんとうに必要なのか?

残留農薬の人体に与える影響や、除草剤の環境汚染が懸念されています。

農薬は、ほんとうに必要なのでしょうか?昔の日本の米づくり、野菜づくりには農薬など使われていませんでした。手間はかかったかもしれませんが、農薬がなかったことが原因でお米が、野菜が全滅したという話は、聞いたことがありません。

その頃の野菜は、不揃いだったり形が悪かったりしたのでしょうが、今の野菜の2倍、3倍の栄養があったそうです。

1羽のシジュウカラは、1年間に10万匹の虫を食べ、1羽のアカゲラは3haの松林を守るといいます。冬季間トラフズクが渡ってくる集落では、ネズミの被害が少なくなったと、喜んでいます。

10万匹の虫を殺し、3haの松林の害虫を駆除するには、いったいどのくらいの農薬を散布しなければならないのでしょう?

自然には自然の調節機能があります。「食べてみたい、ツバメのお米」(↓参照)にも記載したように、自然に生きる生物と仲良くし、その力を借りれば農薬に頼らなくても安心して食べられるおいしいお米や、 野菜づくりが出来るのではないでしょうか?
2000年12月29日

ワイズユース2

私たちは、自然から多くの恵みをもらっていますが、私たちは自然に対して何をしたでしょうか?自然を恐れ、自然に感謝し、自然からいただいたものは自然に返さねばなりません。

しかし、実際には自然を傷つけ、分断し、自然からいただいたものとは全く違う、自然界に存在しないものを自然に返しています。多くの開発行為や、プラスチック廃棄物、原子力発電などは、自然に大きなダメージを与え、自然の回復力では追いつかない空気や水の汚染、環境の破壊を引き起こしています。

人間は空気や水がなければ生きていけません。もちろん、動物、植物もそうです。

人間は自然の一部であり、自然の中で生かされていることを、もう一度確認したいものです。
2000年11月18日

ワイズユース1

「鳥が好きなのに、鳥肉を食べるの?」と聞かれることがあります。 「鳥はダメだけれど、牛肉や魚は良いよ。」というのも変。

私たちの子供の頃は、学校給食でクジラの肉が出ました。いつの頃からか、「クジラは賢くて可愛い生き物でクジラを食べる日本人は野蛮だ。」と世界中からバッシングされ、日本の捕鯨は調査捕鯨というかたちになりました。

欧米先進国の主張は、可愛いクジラは食べちゃダメ。家畜の牛、豚はOK!というものです。

人間は裸のサルと言われます。動物には体毛があり、鳥には羽毛がありますが、人間は裸です。人類が誕生した時から、(その頃は多少毛深かったかもしれませんが…)保温のため、動物の毛皮、植物の繊維を身に纏ったことでしょう。

又、人間は牛のように草だけを食べて、骨や肉をつくる力が備わっていません。狩をし、シカやイノシシを捕り、魚を釣り、そうやって命を継いできたのです。多くの動物や植物に依存しないと生きていけないのが人間です。

私たちは、自然から多くの恵みをもらっています。感謝して上手に自然と付き合い、恵みをいただくことを「ワイズユース」と言うのだと思います。多くの命の犠牲の上に生かされていることを思い、必要以上に食べたり、残したり、捨てたりしないようにしたいものです。(自戒の念を込めて…。)
2000年11月10日

食べてみたい、ツバメのお米

以前、農薬の空中散布が原因と思われるツバメの落鳥が相次いだことがありました。農薬やダイオキシンに土壌や水が汚染されると、も との清浄な環境に戻すには、大変な時間と費用がかかります。

ツバメに悪いものが、人間に良いはずがありませんし、環境ホルモンはプールに1滴という微量でも、影響が出るといいます。

4月11日付け「地鳴り」欄に、トンボやツバメが飛びまわる中で無農薬のお米を育てている方の話が出ていました。手間は2倍も3倍もかかるかもしれないけれど、孫子の代まで安心して食べられるお米だと思います。生き物に暖かい愛情をそそがれる投稿者のお米はきっとおいしいと思います。(平成12年4月14日付、北国新聞地鳴り欄転載)

この記事が掲載された朝、お米の生産者の方からお電話をいただき、「ご縁ですから」とお米を贈っていただき、恐縮しながらありがたく頂きました。この方の米作りは徹底した無農薬、自然耕栽培(田起こしをしないので稲の根がしっかり張り病気に強い。)、除草はフナ、コイ、金魚、ドジョウといった具合で、田圃にはタニシが発生し、ホタルも飛び交い、3種類の赤トンボが羽化し、それを目当てにツバメがやって来る、という訳です。お米の名前はツバメのお米ではなく、「とんぼ米」という名前で主に東京方面からの注文販売だそうです。興味のある方は「とんぼ米川北販売所」TEL・FAX(076)277−0640まで。
2000年04月16日

自然の浄化作用2.

ローレンツ博士は名著「ソロモンの指環」の中で、「アクアリウム(水槽)の中に、ちょうど良いだけの水と植物と魚と、池で採ってきた小さな生き物を入れておくと、完全に生物学的に平衡する。」と言っています。

「水槽を掃除する必要もなく、ポンプでエアーを送る必要もない。」というのです。水槽の中は完全なひとつの宇宙であり、水草は炭酸ガスを取りこみ、代わりに酸素を吐き出し、魚のフンは微生物が分解し、水草の栄養に替えるという自然の循環が行われるのです。

私たちは熱帯魚を飼うとき、エアープンプをセットし、フィルターを取り付け、ヒーターで暖める。ということをします。「博士はちょうど良い魚の数を一匹でも超えて多く入れると平衡はくずれる。」とも言っています。 熱帯魚は鑑賞の目的で、ちいさな水槽に自然の限界を超えた数を入れるため、上記の器具が必要となるのです。

これ、どこか都会で暮らす人間に似てませんか?とても飲めない臭い水を浄水器でろ過し、地下鉄や高速のトンネルのよどんだ空気は、大型ファンで排気し、空気清浄機やエアコンに頼った生活をしています。停電になった時、熱帯魚はどうなるでしょう?阪神大震災のような災害が起きて、水や電気が止まった時、狭い水槽に入れすぎた人間の悲鳴が聞こえてくるような気がします。あの時も野生動物は水にも、エサにも、トイレにも困りませんでした。
2000年04月15日

自然の浄化作用1.

子どもの頃、父に「川は3メートル流れたらきれいになる。」と教わりました。川の浄化作用のメカニズムは、希釈する、流れによって酸素が溶け込む、微生物や水生植物、魚が汚れを吸着したり、栄養分として取り入れたりする。そうやって時間をかけ、暖められ、清められた水が海にそそいだのです。昔は…。

いつの頃からか、自然の浄化作用では分解できない化学物質が投棄され、自然の浄化作用の限界を超えた量の汚染物質が流され、川自体も川底はコンクリートで固められ、蛇行していた川の流れはまっすぐに改修され、冷たいままの汚染された水が海にそそぐようになったのです。それは、もう川とは呼べない下水路です。

現在の科学をもってするよりも、葦などの植物が重金属を吸収するほうが、はるかに効率が良く、コストも安いそうです。人間は水がなければ生きていけません。自然の浄化作用が最大限に働くためには、川は適度に蛇行し、流れがあり、淵があり、土手があり、水が染み込み地下水となる自然の川床がある、といった多様な環境が必要です。それは、同時に、鳥や人間や多くの野生動物、生物にもやさしい、豊かな自然です。
2000年04月03日

イヌワシとクローン人間

2050年、人類はついにクローン人間にゴーサインを出した。それは10年前から地球上にただ一人の赤ちゃんも生まれなくなり、人類の滅亡を防ぐ最後の手段としての選択だった。  街で見られる植物は全て合成樹脂の作り物、山にも海にも川にも生物の姿はなく、食卓に上る食材もクローン技術で工場生産されたものだけ…。  1月6日付夕刊の「環境ホルモン、イヌワシにも蓄積」の記事を読んでこんな恐ろしいことを想像してしまいました。  日本経済の立て直しも重要ですが、環境行政は待ったなしの最優先課題です。諫早湾の荒涼とした風景、藤前干潟の問題、みんな根っこは同じです。遠くで起こった出来事ではなく、私達一人、一人の問題として国も、産業界も、個人も考え行動しなければと思います。 (平成11年1月29日付、中日新聞発言欄転載)
2000年03月08日